憲法は我々の生活に関係ないと誰もが思っているが、
ありもしない「セクハラ罪」で、マスコミと左翼知識人が
扇動し、大衆が加害者を吊るし上げる集団ヒステリーも
起こるのだ。
そんなとき、「罪刑法定主義」の原則が、憲法で保障されて
いることは大きい。
長谷部恭男は、国民は憲法を知らなくていいと言うが、
わしのようにほんの少しでも知識があれば、憲法を盾に、
マスコミの過ちを指摘することもできる。
集団ヒステリーを防ぐこともできる。
「セクハラ罪ヒステリー」は、言論・表現の自由を狭める
危険性があることも、憲法を知っていれば気づき、
警鐘を鳴らせる。
「セクハラ罪」を作ろうとすれば、必ず憲法上の「表現の
自由」に抵触すると推察が付く。
憲法は我々の生活に非常に関係している。
憲法学なんか習ったこともないわしでも、ちょっとだけ
憲法を斜め読みしていれば、そのくらいはピンとくるのだ。
長谷部恭男にしても、木村草太にしても、憲法学者のくせに、
「セクハラ罪ヒステリー」の中では、これを指摘できない。
なぜなら「左翼マスコミ」に祭り上げられた権威主義者だ
からである。
憲法学者は知識があっても、勇気がない。
知識が役に立たないのだ。
将来、日本国民が全体主義的ヒステリーに埋没していく
危険性が高くなっても、それに警鐘を鳴らす勇気を持つ
者は、憲法学者ではない。
わしのような、憲法を一応、目を通しただけの国民の
方が、役に立つのだ。
諸君!本物の「良識」を発揮できるように、憲法に関心を
持とう!
「九州ゴー宣道場」に集結せよ!
応募締め切りは5月30日。早めに申し込め!